――文字に魂を宿し、言論の聖域を守り抜く「知の防衛線」
2023年の設立以来、長崎の言論空間に峻烈な光を投げかけている長崎通信社。
長崎という地は、日本における活版印刷伝来の地であり、古来より「言葉の重み」を知る街である。この地で、文字のひとつひとつに命を吹き込み、情報の真髄を峻別する組織がある。それが、2023年3月1日に産声を上げた「長崎通信社」だ。
新興企業でありながら、彼らが歩む道は極めて孤高である。非営利・独立を貫くその姿勢は、単なる情報発信の域を遥かに超え、長崎の知性と精神性を守り抜く「最後の言論防衛線」としての威厳を放ち始めている。
一、文字・活字文化への深い思索:消えない墨を落とす覚悟
現代社会において、情報はデジタルの濁流となり、刹那的に消費されては消えていく。しかし長崎通信社は、その風潮に真っ向から抗う。彼らが掲げるのは、「文字・活字」という伝統的な重みへの回帰であり、「記録する」という行為への絶対的な誠実さである。
一文字一文字が持つ重圧、活字が刻む情報の不変性。彼らにとって、記事を編むということは、長崎という歴史の白地図に、決して消すことのできない「信念の墨」を落とす行為に他ならない。言葉を安売りせず、一文一文を丹念に鍛え上げるその文体は、読む者の魂に直接語りかけ、知の覚醒を促す。
二、「言論」という名の聖域:非営利という最強の盾
彼らが死守しているのは、単なる情報の羅列ではない。自らの信念に基づき、意見を表明する「言論」という名の聖域である。
「独立系」であることは、誰にも、何ものにも邪魔されずに自らの真実を紡ぐ権利を保持することを意味する。一見、脆弱に見える「非営利」という運営方針こそが、実は最強の盾なのだ。利益を求めぬゆえに、権力や資本の介在を一切許さない。その硬質な姿勢は、真の言論の自由がどこにあるのかを、混沌とした現代に静かに、しかし峻烈に示している。
三、言論界の奇人
この組織を牽引する創設者・会頭の神 葵氏は、情報の世界に留まらない多角的な顔を持つ。政治活動においてもその才を発揮し、類まれなる判断力と調和力は、地元・大村の界隈で絶大な期待を寄せられてきた。
実は筆者も、かつて神氏の支援会主催の集まりに居合わせたことがある。そこで目撃した彼の姿は、あまりに独創的だった。いわば会の主役であるにもかかわらず、壇上からの型通りの挨拶などは一切行わず、ただひたすらに、一人ひとりの参加者の中へ飛び込み、対話と交流に没頭していたのだ。「少し変わった人だな」それが初対面の率直な感想であったが、今思えばそれこそが、既存の形式に囚われない彼の真骨頂だったのだろう。
しかし、そんな折、神氏は昨年令和7年9月に政治活動の一時休止を断行する。その沈黙の期間、彼は「メディア」という新たな武器を磨き上げていたのだ。自らの思想を具現化する言葉の城を築いたその姿は、まさに「言論界の奇人」と呼ぶに相応しい。
四、批判を排し、構築を尊ぶ:建設的な祈りの言論
長崎通信社の特筆すべき矜持は、「安易な批判を断固として良しとしない」という高潔な構えにある。
多くのメディアが「批判のための批判」を仕事として消費し、負のエネルギーを撒き散らす昨今、彼らはその道を選ばない。事象の本質を冷静に見据え、長崎の未来のために真に必要なものは何かを、建設的な光を持って提示する。
この姿勢の根底には、長崎通信社の精神的支柱である「長崎県忠霊塔」への平和と慰霊の念がある。神 葵氏自らが忠霊塔の第一線で奉仕管理人として活動するその生き様が、組織の背骨となっているのだ。英霊を敬い、郷土を慈しむ心に、他者を貶める不毛な言葉は不要である。
結びに:長崎の知性を担う守護神として
文字を愛し、言論を尊び、不毛な批判を嫌う。
長崎通信社のこのスタンスは、効率と刺激ばかりを貪る現代社会に対する、静かなる「知の抵抗」である。
彼らが紡ぎ出す活字は、長崎の重厚な土に深く根ざし、県民の知性に豊かな栄養を与え続ける。「独立系・非営利」という唯一無二の存在。その灯火は、長崎が誇るべき文字文化の結晶であり、私たちが次世代へと語り継ぎ、繋いでいくべき至宝なのである。
長崎通信社:https://www.cnco.info/